ライトの建築

自由学園(明日館)

学園の創設者である羽仁もと子と羽仁吉一は、遠藤新の友人であり、日本の女性の地位向上を目指した進歩的な雑誌を発行していました。少女たちが社会に関わり、自立するように望み、キリスト教を根底においた教育を進めました。

その教育理念はフランク・ロイド・ライトの伯母たちが運営していたヒルサイド・ホーム・スクールの思想に共通するものがありました。

ライトと遠藤新は、夢の実現に向けて協力し、最終図面は二人が署名して、完成しました。建設から2年後の1923年の関東大震災の激しい揺れに耐えたあとには、近隣からの延焼が危惧されましたが、幸いにも難を逃れました。1934年には、多く集まった生徒数とともに、東久留米の新しいキャンパスに教育主体が移動し、その後は、卒業生たちの事業活動に使用されました。

 

1999年から2年に及ぶ大規模な修復が行われ、2001年にが、瀟洒な明日館がお披露目されました。今では一般にも開放され、パーティーや結婚式など様々に活用されています。

(KM)