ライトの建築

日比谷三角ビル

フランク・ロイド・ライトが日本を去る直前に、国会議員の星島二郎が、100家族用の住宅と商業施設の複合ビルの設計を依頼しました。ライトは短時間のうちに、10階建てタワーの概念設計を書き上げ、待っていた星島に渡しました。この独特なビルは、屋上庭園からレストラン、 簡易ホテル、それに結婚相談所まで備えていました。

ライトが日本を去った後、遠藤新は、星島とともに、1923年秋の着工を目指し、計画を進めました。しかし、震災後の区画整理のため、この計画が着工されることはありませんでした。

(KM)